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痛みを「感じる」こと

 ジョギングの時に痛めたのか、一か月前から右の股関節が痛み、走っている時はそうでもないのですが、歩く時に後ろに蹴り上げることができないため、ドレンブルグ跛行(股関節が動かないためそれを補うために下半身全体で輪を描くような歩き方)をしています。以前にも左の股関節を同じように痛めて、それが完全に治るまでに1年以上かかったことを思い出して、長引くなあと、少々不自由を感じながらも過ごしています。

 

 痛みを「感じる」と表現しましたが、実は痛みには、体で感じる「痛み」と、こころ(脳)で感じる痛みが合わさって、私たちは痛みを感じているようです。

 

 患部が治っているのに、3か月以上、痛み(動けないほどの激しい痛みの場合もある)が続く場合は、それは痛みの「記憶」が痛みを生み出している場合があるようです。

 そしてそれには、脳の神経伝達物質であるセロトニンが関係しているそうで、セロトニンの分泌量を調整する抗うつ剤が効果がある場合があるようです。

 

 セロトニンは運動などによっても分泌されるようです。私の場合も因果関係は証明できませんが、確かにジョギングをするようになって、中学校時代から悩まされていた腰痛がすっかりなくなったこと、痛みには敏感体質で痛みに対して怖がりであったのに、最近多少の痛み「ぐらい」耐えられる体質になってきたように感じます。

 

 それはセロトニンの影響か?痛みを、からだが感じる痛みを自分に加えられた刺激だと客観的に捉え、痛みから生まれる情動がシャットアウトされているからかも知れないと、股関節は痛むのだけれども、それがかつてほど嫌ではなくなっていることから感じます。それが治る過程を待てる余裕になっているのかなあとも感じています。

 

 けれども激しい痛みは我慢せず、初期に痛みに対して対処することが、慢性的な痛みに繋がらないという最近の痛みに対する処方もあるようです。

 鎮痛剤の濫用問題もあり、痛みは体からの警告という意味も踏まえて、痛みと「つき合う」という余裕も必要なのかなあと感じています。