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希望を処方する

 中井久夫氏の「こんなとき 私はどうしてきたか」の中で、「希望を処方する」という言葉に出会いました。

 また「診断は治療のための仮説。『宣告』ではない。」とも。

 私たちは情報格差にさらされた時、情報弱者になってしまいがちです。特に医療のような膨大な知識の蓄積と、新たな情報が常に刷新されている分野において、プロの医者と素人の患者の間の情報量のギャップは、益々開きつつあります。

 以前のような医療パターナリズムの権化のような医者は減り、医療は患者さんあってのサービス業であるという医療の資本主義化が進み、また、インフォームドコンセントの考えにもより、医者の患者への説明もずいぶん親切で丁寧になったように感じます。

 しかし、たとえ患者への対応がソフトになったとしても、情報を伝える医者の意識に、情報格差の強者としての驕りがあってはならない。自身の情報の誤謬性に対する懐疑心が必要だと中井氏はいいたいのだと思います。

 病の状態にある患者は、体の苦痛に苛まれ、不安でいっぱいで、それだけで弱者の立場になってしまっています。

 医学の知識は日進月歩であり、またどうしても経験主義的にデータを積み上げていくしかないので、その情報は「あくまでも現時点において」最も正しいと思われるもので、絶対に正しいということはありません。

 また患者の生身の状態は、環境や様々な要因により変化する複雑系です。

 医者の側も、このような医療の原理に自覚的になり、常に自身の情報が完全ではないと意識することが大切です。

 また患者の側も、情報格差に飲み込まれて「おまかせ」になるのではなく、自分の体のことなのだから、少しでもそれについての情報を得ることが必要です。

 「希望を処方する」。たとえ見通しが明るいものではなくても、このような精神で医者が診断してくれたならば、患者は治療に前向きに取り組む気持ちになると思いました。