· 

習慣化のおかげ

 石川善樹氏が著書の中で「2週間続ければ自然に感じられるようになる。2か月続けば習慣化する」と書いていました。

 「習慣化のうまい人は、はじめとおわりの期限を決めている」とも。

 「その人を形作っているのは習慣である」とは、誰の言葉か忘れましたが、いつの頃からか私のモットーとなっています。

 もともと根気も辛抱強さも粘り強さもなく、両親もそれほどしつけに厳しくなく放任で育った私は、子供のころから3日坊主で、何かをきちんと習慣化していることがありませんでした。

 けれども上の言葉に出会ったとき、それまで出会った人で素敵だなあと心惹かれた人を観察してみると、それは何気ないその人の振る舞いであったり、仕草であったり、言葉遣いであったり、無意識の行いからにじみ出てくるものばかりだと気づきました。

 無意識ということは習慣化しているということで、それはその人が長い時間をかけて身体にしみこませてきたものなのだからだろうと思いました。

 続かないのはいちいち意識すること(これも石川氏が述べていました)が面倒に感じられるからで、オートマチックになれば、それからも解放されると。

 そう考えたから後は、私は「習慣化の鬼」に変身しました(笑)。

 何かを身につけようと決意したものは、とにかく、ひたすら、繰り返す。

 経験上石川氏のいうように、私の場合もものによりますが2週間繰り返すことによって習慣化できるようです。

 始めてからの2週間の間はそれまでとは異なる身体の使い方、時間の使い方のため、煩雑で意識することが苦痛でもありますが、心身が変化する「移行期」だと捉え、それらを司っている脳が変化しているのだと、その感覚を楽しむコツを覚えました。

 とすると、ほとんど(といっても、私の場合他愛のないのない簡単なものばかりですが)のものが、習慣化されるではないですか!

 そして、さらに、もともと強迫観念的傾向があるためか、今度はそれをやらなければ「気持ち悪い」とまでかんじるようになってきました。

 その結果、傍からみたら、滑稽ともいえるルーティンな振る舞いに支配された今の生活が構成されました。

 いろいろなことが習慣化されて、何気ない時間、何もしない時間というのが浸食されてしまっているようにもかんじますが、習慣化のいいところは、生活を基盤とした軸を持てること。

 今回のコロナ禍で被ることになった変化に対しても、精神の平静を保てたのは、習慣化したルーティンな私独自の日常のおかげだと実感しています。