都内ではソメイヨシノの桜が満開になっています。
早朝駒沢公園のジョギングの時、200mほどジョギングコースの両側を桜並木の下を走るのが、
この時期の愉しみです。
また緑道の「桜の小道」という200mの以前川の両岸に植えられていて、暗渠になりその上を緑道になったのちにも、桜並木を残して、桜の巨木が並木となっている私の置き入りのスポットの桜も咲き乱れています。
この時期あちこち淡いピンク色が街に現れ、
「こんなところにも桜があったのだなあ」と気づかせてもらいます。
しかし昭和の人間としては、桜というと入学式の時、
初めての制服に身を包み、緊張と期待で校庭の桜並木の下を母と手とつないで歩き、
記念写真を撮った光景を思い起こします。
そして桜の下には決まって毛虫がおちていましたっけ。
温暖化の影響で、いろいろな季節の巡りが以前のようでなくなってきていますが、
桜は華やかで様々な行事とも結びつき、人々の関心も高いため、
その開花や満開、散る様子などが、それを明確に象徴しています。
令和の時代の入学式は、葉桜になった桜の下をくぐるのでしょうね。
そして令和の子供の脳裏には、昭和の時代がそうであったのと異なり、
桜と入学式が結びつくことはなくなってしまうのでしょうね。
これも「昭和は遠くなりにけり」の例ですね。
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