朝日新聞の配信版で数学者故森毅氏について書かれていました。
1980年代~90年代にメディアに登場されていた森氏は、その飄々とした風貌と、独特の関西弁(実は東京出身!)で、お堅い数学者のイメージを覆し、けれども、鋭い独特のアングルからのコメントを発せられる人だという印象でした。
記事では、森氏のモットーが「エエカゲン」であること。それは博覧強記の知識に裏付けされ、数学者としての縦横無尽の柔軟な視点から世の中を眺める視点であるということが、氏の知人のコメントとして紹介されていました。
それを読んで、森氏は「昭和の人だったなあ」と感慨にふけりました。
「イイカゲン」という言葉を聞かなくなって以来どれくらいたったかなあと思い起こしました。
昭和の時代には、結構聞かれていたし(肯定的な意味合いが含まれて)、そして自分でも自嘲的に使っていたように思います。
けれども、平成に入り、令和と、この言葉が自他ともに聞かれなくなってきたことが、「イイカゲン」が許されない、窮屈な時代へと変遷してきたことを物語っているように思います。
「イイカゲン」では許されないような、カチッと、あらかじめ決められているルールがあり、それに従わなくては生きていけないような。。。
けれどもそのような社会システムも人間がつくり上げたものであるし、そもそも、人間の本性は「イイカゲン」なのではないかと、「イイカゲン」を自覚する私は自己弁護を込めて、最近の息苦しい風潮を憂います。
そして森氏のような「イイカゲン」をあえて体現するような型破りな人物も、とんとお目にかかることはなくなったような。
ネットでの誹謗中傷など、ちょっとでも目立ったり、外れたりした人に対する執拗な攻撃が社会の表に出てくることが日常化した今日。
「イイカゲン」に生きることが困難になってきているのかも知れません。
コメントをお書きください