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雨宿りが成立しなくなった令和

 昨日は目まぐるしく変わる天候でした。

 早朝ジョギングの時はかろうじて雨は降らなかったのですが、それから雨が降り始め、しばらくすると止み、また降り始め。。。

 私は天気予報を4つの媒体でチェックしています。PCの配信新聞の中の天気予報欄、天気サイト、スマホの天気アプリ2つ。

 そのどれもが微妙に違う予報をしていて、洗濯物を外に干そうかどうか迷ってしまいました。

 雨雲レーダーも現在の雨雲を映し出しているはずなのですが、実際とは違っていて、

 「これって、詐欺じゃないの?」という思いです。

 いったい何を信頼すればいいのか?

 けれども、ふと、これほど天気予報媒体が自由に手に入らなかった昭和の時代を思い出しました。

 母は毎朝山を見上げて、そこに雲がかかっているかどうかで天気を判断していたり、

 突然の雨に、慌てて「雨宿り」をするようなことが度々ありました。

 そう、さだまさしの歌「雨宿り(今から思えばなんとも女性蔑視の歌詞だと感じるのですが)」が流行した時代でした。

 雨宿りするということは、突然の雨に備えて傘を持っていないという状況が設定されなければならなくて、

 現在の天気予報の精度も更新頻度も高い状況では、多くの人が携帯の傘ぐらい持っているはずでしょうから。。。

 けれども、自分の身体感覚で天気を予想していた頃と比べて、情報に頼るようになって、天気に対する感度は確実に下がってきているなあと感じます。

 当てにならない天気予報ならば、自分の感度を研ぎ澄ますことで、天気を予報すればいいのだと、

 空を見上げました。