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今に「いる」こと

 ルビー・ウオリントン著「飲まない生き方 ソバーキュリアス」を読んで、アルコールなど数々の依存症に陥りやすい現代人は「今にいること」ができないために、刺激を求めて依存物質に手を出してしまうということが書かれていました。

 ソバーキュリアスというのは、ウオリントン氏の造語で、長年華やかな編集ライターの仕事をしながら、その仕事や人間関係のストレスから、アルコール依存症と定義されるほどの症状はないものの、アルコールなしの生活をおくれなくなっていた氏が、アルコールときっぱり手を切り、アルコールなしの剥きだしの自分と「好奇心をもって=キュアリアス」向き合う生き方を提唱しているのが「ソバーキュリアス」です。

 断酒と区別しにくい概念ですが、断酒が「(アルコールとの悲惨な関係性を経て)二度と酒を口にしない」のに対して、ソバーキュリアスは、アルコールを絶つ様式はその人それぞれで、ただし、アルコールがない状態が自らの心身にどのような好影響を与えているのかを観察することを通じて、「しらふ=ソブリン」な状態が、本当の自分であるということを再認識する試みです。

 私自身1年に数度しかアルコールを飲みません。飲めない体質ではない(ワイン1本軽く空けるほど)のですが、本質的にアルコールと相性のよい体質ではないようで、飲み過ぎると気分が悪くなってしまい、アルコールを飲んでほろ酔い程度はありますが、性格が変わったり、ストレス解消されたりという経験はあまりありませんでした。

 父親が全くの下戸だったので、育った家庭で日常にアルコールが存在することもなかったこともあって、成人してから世の中がこれほど「アルコール漬け」になっている状態に驚きました。

 そして、アルコールの影響による現象にどうしても好印象を持てないできました。

 決定的だったのはいまから思えばアルコール依存症だったと思われる人と、会うたびにアルコールを飲むことに付き合わされたことで、お酒がはいると永遠くどくどと、興味がわかない、自分話を聞かされるハメになったことで、

お酒そのものよりも、お酒との関係性にほとほと嫌気を感じたことです。

 その原因が「今、ここにいる」自分と正面から向き合えないことだということを改めて認識し、腑に落ちた気がしました。

 これからもアルコールなど依存物質に頼ることなく、「今、ここ」にいることができるようになりたいと思いました。