猛暑の反動か、今年の秋は例年にも増して、秋の清々しさを満喫しています。
「秋ってこんなに気持ちが良かったのか?ごめんね、気づかなくて(笑)。」
動いても汗ばむことなく、乾燥した日中は暖かでも日が落ちるとちょっと冷たくなる空気も心地よく、
そして木々が様々に色づいて目も楽しませてくれるし、
そして何より、果物や野菜、スイーツなど、秋の味覚も喜ばせてくれます。
「読書の秋」で読書週間がもうすぐはじまりますが、秋の夜長を読書にという、教育や出版関係の企画が根底にあるのでしょうが、私は「読書の秋」ならぬ、「読書の年」つまり、読書は通年の習慣です。
読んでいる本のボリュームもよりますが、だいたい2日で一冊ぐらいは読破しています。
字を読めるようになった感動の瞬間から(三歳のあの時を覚えています!)、読書は私の人生の主要な部分を占めていて、本なしの人生は考えられません。
一日たりとも本を読まない日はありません。
これは立派な「活字依存症」で、世の中の読書に対する好意的な捉え方のため、依存症の弊害を無視する傾向があると思いますが、私は自分自身の経験から言っても、活字依存症は、依存症の定義である「本来の効用を上回る甚大な被害」はない(プラスの方が圧倒的に大きい)ものの、意外と弊害もあると自覚しています。
何より、何もしない時間が持てない。空いた時間があると、手元にあるなんでも手に捉えて活字を読んでしまうほど、常に活字に「飢えた」状態になっています。
そして私はすべての本を図書館で借りることにしましたが、その理由は読む本を購入すると破綻してしまうかもしれないと思ったからで、(読む本を手元に置こうとするならば)経済的な負担が大きいということ、読書に時間がとられるために実務的なことや交友関係がおろそかになってしまう、視力が落ちる(ど近眼に加えて老眼も!)、
そして何より、読んでいることから新たな興味が湧いてきて、それに関係する本を読み漁るという、欲求が際限なく高くなり、読書行為を止めることができなくなることです(時には苦しくなるほどに)。
しかしながら、読書の罪なところは、その行為が社会的に肯定的に捉えらえて、むしろ推奨されているので(「読書週間まであって国民的に読書を推奨されている)、それを止めようという動機が湧き起こらないということです。
ということで、私にとって秋だからということではないのですが、「読書も秋」です。
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