実家の母が「年末はいつ帰るの?」と電話してきました。
思わず、「もう帰ったでしょう。年末はショートスティだよ。」と、耳の遠い母に大声で返しながら、
ちょっと苛立ちを覚えました。
一週間前に帰省したことも忘れてしまっているのです。
何度も、帰省した事実を問い直しても、要領得ない様子で、
ふと、思い直しました。
「記憶がないのだから、過去のことを問っても無意味なのだなあ」と。
父が認知症になってから100冊近く認知症関連の本を読み、認知症の介護する側だけでなく、認知症の人の認識がどうなっているのかを理解していたつもりでした。
何度も何度も同じことを問われ、仕舞には「前に行ったでしょう。」といらだってしまっていましたが、
記憶にないということはどういうことか。頭でニュミレーションしてみると、それを問いただされても当惑するだけだと気づき、それ以降、イライラしなくなりました。
けれども、事実と異なることを言われてしまったら、正さなければという思いが先立ち、つい、「事実はこうなのよ」と教え諭そうという欲求が高まるのですが、母にとっては記憶のない事実を言われても腑に落ちず、何度も繰り返し問うことの繰り返しになってしまいます。
そうだ、否定してはいけないんだ。言われることを肯定して、その場で「ウソをつく」ことが必要だったんだ。
嘘をつくことに罪悪感があり言いたくない思いがあるのですが、母とのコミュニケーションにおいては、
「嘘も方便」と、それを楽しむぐらいの余裕をもって、その場の母の不安を解消する方を優先することにしようと、帰省したときのやり取りで決意したはずなのに。。。
とっさに、言いただしてしまって、まだまだ身についていないことを実感。
母が何度も繰り返し問うのは、記憶がない世界を生きることの不安から。
私にできることは、その不安を取り除いて安心させることなのだと。
母との会話から感じました。
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