佐々涼子著「エンド オブ ライフ」を読みました。
終末期訪問看護師をしていた知人が末期のすい臓がんになり、死までのプロセスを描いて欲しいという当人の意思に応えて、最後の瞬間まで描かれています。
それに併行して、佐々氏の難病の母親とそれを献身的に介護する父親の姿、訪問介護で訪れた患者の死期のようすなど、様々な死への肯定が描かれています。
つくづく、人間は死を選べないのだなあと感じました。
元気な時(現在の私の状況)、死はどんなに現実感を持とうとも、己のイマジネーションの範囲でしかない。
この本に書かれた終末を迎えた人達も、自分がこのような死期を迎えるであろうとは予想しなかったと思われます。
訪問介護での自宅での死は、当人も家族も希望したもので、それは慣れない不自由な病院での死とは違う、その人の人生を反映する(だからこそそれまでの家族関係が色濃く)、当人も家族も満足の行く死であることが多いようでした。
それでも最期は肉体的に相当苦しむ。当たり前のことだけども、身につまされる思いでした。
そして読みながら何度も考えたのは、一人暮らしの自分の人生の末期はどうするかということでした。
この本で描かれた末期を迎えた人達は、絆の強い家族と、日本にはまだまれな末期訪問介護医療、それらに恵まれない者は、このような満ち足りた最期を迎えることはできない。
死は選べない。けれども、こうして選べる人もいる。
それは運でもあるし、その人の生きてきた積み重ねでもある。
自分には、死の瞬間、運も積み重ねも手にすることができるだろうか。
もし、それが不可能ならば、不本意な死を受け入れつつ穏やかな心で死ぬことができるのか。
年の瀬に考えさせられました。
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