俳優の佐野史郎さんが自身の骨髄腫の闘病体験を語っている中で言われた言葉です。
血液のがんである骨髄腫と告知された時も平静でいられたのは、世間の流れに逆らわずに身を任せながら、
子供の頃から自分の好きなもの、好きな世界には妥協せず追い求めてきたという生き方があり、
人間は全ての生物と同じで、別に特別なものではない、という達観感があったからだと自己分析しています。
凄まじい闘病生活の様子も淡々と語られていて、それを支えたのは「人間はとくべつなものではない。」死ぬときには死ぬ存在なのだという深い諦念があったからだと。
病を人生の不意打ちと捉えるのではなく、生きとし生けるものの宿命として淡々と受け入れ、耐え、そして生命の流れに身を任せる。
氏の不思議な存在感や演技の底には、そのような人生観があり、それが闘病の際にも支えとなっていたのだと思いました。
佐野史郎さんが骨髄腫であると知ったのは、57歳でがんで亡くなられた青山真治監督の死の直前まで書かれた日記の中で紹介されていたことからでした。
生が終わる直前まで映画を撮ることに憑りつかれていた青山氏にとって、死はどのようなものだったのか?
私とほぼ同年齢の彼らが自身の死についてどのように捉えていたのか興味があります。
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