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受けとめる余裕

 介護士の村瀬孝雄氏が、不足する介護労力を補うため、介護の一部を機械化、目標達成などシステム化することを政府が進めているということに関して、介護は高齢者の要望を「聞く」ではなく、「受けとめる」ものだと。

 与えられる介護に対して、お年寄りが「嫌だ」と表明したならば、それを「受け入れ」、ではどうしたいのか、どうしたら納得してもらえるのか、一緒に寄り添いながら考え続ける介護を推奨していました。

 インタビューアーが、それでは人的資源が不足する介護現場は成り立たないのではないかと、執拗に問いかけるのに対して、村瀬氏は一貫して、介護は受けとめるものであるという姿勢を崩さずに、むしろ介護現場に効率重視の価値観を持ち込むことのほうが間違っていると指摘していました。

 けれども私自身認知症でまだ日常生活において身的介護が必要でない母と接していると、永遠と同じことを繰り返し問いかけられたり、失敗を繰り返されたりすると、それを老化によるものだと寛容に受け止める余裕がなくなり、つい、強い口調になったり、無視したりしてしまいます。

 もし全面的に母の立場にたって寄り添っていれば、次第に記憶が失われて、日常生活を送ることもままならない母の苦境を「受けとめる」ことができるのでしょうが、そればかりにいかない(私自身の生活も維持するため)ためになかなかそれをする心的余裕が生まれません。

 介護はそれを提供するものの心のキャパシティを問いかけるものだとつくづく感じます。