柄谷光人著「世界史の構造」を読んでいます。
460ページにも及ぶ大著なのですが、予想していたよりも読みやすく、夢中になっています。
人間社会の歴史を大きく紐解いたものとしてマルクスの資本論がありますが(私は高校の教科書で学んだぐらいしか、その大要はしらず、「貨幣論」、「価値論」、「生産方式」の用語ぐらいしか覚えていません)、それは社会の下部構造を支えるのは、人間の生産=労働であるとする考えですが、柄谷氏はそれを「交換」であると規定し、その様式を4段階に分け、社会の発展段階において、交換がどのように社会を変え、発展させていったのかを語っています。
このようなグランドセオリーに私は魅了されます。
漠然と生きているこの社会には、実は底流に大きな流れがあり、それを物語として展開して開示してくれるもの。
わたし一個人の人生も、この大きな流れのなかに漂っているという、なぜか大きな安心感も抱くことができるからです。
それは宗教が与えてくれる世界観のようなものかも知れません。
交換という、それぞれの人が価値(があると思っているもの)のあるもの、概念を、与え合うこと。
自分の価値は相手にとっての価値である保障はなく、交換の際に大きなジャンプが必要であるため、交換は、つねに他者に受け取ってもらえないかもしれないという可能性も秘めている。
人間社会が、このような確率に支配されるものによって突き動かされているということは、量子物理学の量子の動きとも相似しているように感じられ、すべての物事の根幹に通じるようにも思いました。
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