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選択の自由

 現在朝6時、いつものジョギングを始める時間ですが、外は霧雨が降っているため中止にすることにし、

代わりに朝風呂に入ることにしました。

 17年間、雨の日も風の日も(台風と積雪以外)、毎朝10キロのジョギングを敢行してきました。

 決して意志が強い方ではないのですが、やり始めたことは続けたがるという、やや自閉症スペクトラム的な傾向があるためと、走っている時の苦しさと走り終えた時の爽快感や達成感を比較すると、後者の方が優位であるため、つづけてきました。

 ところが、ここ数年、走る前になぜか憂鬱でしょうがなく、しかし、走り始めてしばらくすると、すーと気持ちが楽になり、そして走り終えた時は、100%走る前の憂鬱な気持ちはふっとび、その後一日心身ともに気持ちよく過ごせるという日々が続いていました。

 しかし、春先から、冬から悪化していた坐骨神経痛が中々治らないこともあって、走る時にバランスをとることが困難になり、また、走っている時も最初から最後までけっこう苦しく、以前のような爽快感が味わえなくなりました。

 年なのかな?

 人生のもっとーである、「適応することが生き延びるセオリー」ということから、あっさりと、年齢による体力の衰えに適応することに決め、その日の体調や気分に合わせて、ジョギングをするかしないかにすることにしました。

 おおまかには、一日おきに週三回ぐらいということを決めていたのですが、このように選択の自由が与えられた途端、憂鬱な気持ちはなくなり、むしろ、走りたいという気持ちが復活してきました。

 で、結局は毎日のように走っているのですが、今日は、昨日から疲れを感じていたので、起きた時から、今日はジョギング中止と決めていました。

 でも、なんだか「走ってもいいかな?」と感じていたところ、雨が降っていることが判明し、あっさり、中止をきめました。

 このように逡巡することができるのも、選択の自由が主体的に与えられているからで、だからこそ、今後も健康維持のためのジョギングは続けられるような気がしています。