ディビッド・グレーバー著「ブルシット・ジョブ」を読んで、人間にとっての最大の苦痛は、「何もできない状態」に置かれることなのだとつくづく感じました。
ブルシット・ジョブとは、別名「くそどうでもいい仕事」とグレーバー氏が名付けているように、何の生産性もなく、むしろその仕事に従事している人に心身ともに悪影響を与えるものの、その労働(といえるかどうか?)の対価として、シット・ジョブ(世の中に役に立っている労働)に従事している人よりも高賃金が支払われる仕事のことです。
これは、資本主義市場経済が前提としている、価値を生み出さないものは市場から駆逐されるという原理に全く反する現象で、しかも、それが先進国の労働状態の2割から3割を占めているということが、グレーバー氏の調査から明らかになったこと。
そして、このブルシット・ジョブがどのような原理で生み出され、増殖しているのか?
限りある人的、あるいは地球資源を、人間が最も無意味、無価値な行為によって浪費しているとも言えることが、地球温暖んかや人口増加などの人類危機の課題に直面している21世紀の現在に生じていることに、今までの生涯、組織で働いた経験のない私は心底驚いています。
何もしないで、お給料が支払われる。
これは今までの労働観からすれば、夢の実現のように思えますが、ブルシット・ジョブに従事している人が、決して幸せではない状態から鑑みて、人間にとって幸福な状態とは、他者のために何かをする行為に従事していることなのだなあと改めて感じました。
そしてそこから「つかの間の期間限定の再生産を行うための」休息の時間だからこそ、休みの状態に快感を感じるのだと。
私も日常の生活を振り返ると、他者から見ればブルシット・ジョブに過ぎないことをしているのかもしれませんが、どの行為も、自分の生活を維持するという価値を自己認識できるので満足充実しています。
要は、自分でその行為を肯定できるかどうかなのだとも思いました。
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