認知症の母の介護を通じて痛感するのは、人間にとって記憶とは生きることなのだなあということです。
私たちは生きているすべての時間で意識、無意識のうちに脳で意味を創造し続けていて、それが行動や思考になって生きる営みをおこなっています。
認知症になりその土台となる記憶がその機能を果たさなくなると、意味が生み出されにくくなり、意味の創造によって営まれている他者とのコミュニケーションも困難になってきます。
認知症の症状が進んでいくにつれて、私の問いかけに、たぶん言葉の意味が意味をなさなくなってきてるためか、きょとんとして、「わからない」という答えが母から返ってくることでそれを痛感します。
そして「なにもかもわからなくなった。」と不安な表情で訴える切実さに胸を潰される気持ちになります。
これからもどんどん母の記憶は失われていますが、母の中にある意味を生み出されない思いをできるだけくみとっていきたいと思います。
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