ナシーブ・ダレブ著「反脆弱性(反もろさ)」を再読して、脆さというのは一般的に考えられている、頑強性の反対ではなく、むしろ頑強性そのものであるということを改めて知りました。
一見頑丈なものほど、巨大で急激な衝撃に弱いのは、福島第一原発事故で、私たち日本人はその現実を体験したのですが、日常におけるすべての様々な事象が、それに当てはまるということは、忘れてしまいがちになり、間違ったリスク管理をしてしまいます。
では、反脆さ、脆くないものとは、一見脆くも見え、変容しつづけ、安定していないように見えるが、その現象そもののがショックアブサーバーとなって、ショックを吸収し、さらにそのエネルギーを糧として、その後成長する能力を潜在的に秘めているものであるということです。
「反脆い」ものが、成長の糧とするのは、適度なストレスと時間の冗長性。
これは現在の快適な文明生活、あわただしい都市生活には、欠けているもので、その意味において、都市化は、脆いということです。
快適に、楽に、便利な生活を追い求めて、私たちはその恩恵を一見受けて享受しているように感じていますが、
それは脆い砂上の楼閣の上に構築された脆いシステムの上で生きているという、リスクを、常に意識しておかなければならないと思うと同時に、自分の中に「反脆い」ものを作り出していかなければならないと思いました。
コメントをお書きください