去年の年末からもう4か月も配信ビデオでアメリカのテレビドラマ「SUITS(スーツ)」を毎晩3時間以上観続けています。
現在5回目を観ているところで、昨年は半年間同じく配信ビデオでアメリカのテレビ番組「エレメンタリー」を観続けていました。
たぶん、コロナ禍が続き、外出制限もあって映画館にいけず、テレビはもともとないので映像刺激を渇望していたことがベースにあったのでしょうが、娯楽番組はその社会の無意識を象徴していることの興味深さにハマって、何度も見直すたびに、新たな発見があります。
直接のアメリカ人の知り合いがいない私は、ニュースや小説や映画やテレビ番組を通じてしか、アメリカ社会を理解することはできません。
その意味で、もっともその国民性を知ることができるのは、彼らが当たり前として意識していない社会風潮がプロットの中に織り込まれているがゆえに、視聴者に登場人物に強く共感をもたらすことを狙っている映画やテレビがん組は、国民性理解には最適だと思います。
この「SUITS」で、アメリカ人の好きな「バディ」に対する感じ、登場人物のほとんどが崩壊家庭の出身で職場の同僚同僚たちと「家族」的な親密な関係を求める気持ち、訴訟社会アメリカの根底にある「ウソ」を禁忌とするキリスト教思想の影響、激しい競争社会に勝ち残るためのプレッシャー等々、日本社会と異なるアメリカ社会の有様を、スピーディで巧みなプロットで、ぐいぐい観る者を惹きつける力に、ハマってしまって、いつになったら「SUITS」から離れられるのだろうと、「SUITS」依存症を自覚する日々です。
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