ユヴェル・ノア・ハラリ著「ホモ・デウス」を読んで、「大局を見る」ことの意味を痛感しました。
歴史学者として、21世紀のこれからの世界がどうなっていくかを、人類の歴史全体を俯瞰して述べています。
軽妙な皮肉を交えた筆致で、読みながら何度も笑ってしまったのですが、
現時点ですべてと思われること、当たり前と思い込んでいること、それを大局的な視点から捉えると、
大真面目なこと、真剣なことも、「お笑い」になってしまうということを教えられました。
と同時に、自分が今という時間に囚われていることも実感しました。
今は、たまたまの歴史的偶然と、動かしようもない過去の時間の蓄積と、そのせめぎ合いの中で決定されていること。
そして今は過去の時間の影響を強く受けながらも、決して動かしがたい決定論的なものではなく、未来の道しるべとなる要素が現在の中にちりばめられていること。
その対極の流れをつかむには、歴史の中にヒントがあり、それを読み取ることが必要だということを教えられました。
現在「当たり前」と思われていることが、テクノロジーの進化だけでなく社会の在り方においても、
100年、200年、300年。。。前の人たちにとって、青天の霹靂、善悪の逆転であることが多々あること。
当たり前を構築していることは、動かしがたい所与ではなく、人間がつくり上げたものであることを改めて意識して、考えなおししてもらいました。
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