結局昨日のジョギングは、台風の影響もなく実行しました。涼しくなって走るのがずいぶん楽になり、台風の影響で北風の吹く中走っていると、ほんの数日前の汗びっしょりになりながら走っていたことがずいぶん遠い昔のように感じられるから不思議です。
苦痛にかぎらず感覚の記憶はリアルに再現できないのが不思議です。
苦痛の真っ最中は「苦しい。」、「死にそー。」、「早く終わってー。」と確かに苦しさを身体感覚として感じていて、それに対する情動も喚起されているのですが、それが終わると、「辛かったなあ」という漠然とした感慨だけは残っているのですが、辛さの感覚を再現できません。
「あの暑さ」と思い起こそうとしても、特に急に涼しくなって暑さを感じることができない状況で、
暑さの体感をまざまざと再現できません。
「また来年も温暖化の影響で暑いのかなあ。」と想像して憂鬱にはなりますが、何だか実感がこもりません。
けれども、実際に来年猛暑を体験したら
「これこれ、この暑さだったんだ。」と再現できなかった感覚が蘇ると思います。
「のどもと過ぎれば『暑さ』忘するる」というのは、本当だなあとつくづく思います。
だから、人間は、とくに女性の場合、あの辛い出産(経験がないので想像ですが)を何度も経験できるのだろうと思います。
さらに人間は自分に都合の良いように記憶を捏造する性質があるようで、
辛いことも、
「良い体験だった。」
「大変ではなかった」
など、過小評価しがちなようです。
だから辛いことを経験しても、たくましく前向きに生きていけるのでしょうね。
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