ラジオで周防正人監督が最新作「弁士」についての解説の中で、文化が生まれ勃興期には、これらかそれがどう展開していくか文化を担う当事者もそれの受け止めても、その行方はまだわからない。その時のワクワク感(という言葉では表現されていなかったですが)を描きたかったと述べていました。
映画の活弁師は、映画が誕生し、最初は無声映画であり、映像に合わせて登場人物のセリフやストーリーを語ることを専門とした職業でした。
トーキー映画が出現するまで、日本で無声映画が全盛だった時代、数千人の弁士たちがいて、そのころはまだ標準語は今ほど普及していなく、日本各地の弁士たちはご当地の方言で語っていたようです。
歴史を語るとき、私たちの視点はその結果がわかっているものに対して解釈をしてしまいがちになります。
弁士の物語も、トーキー映画が普及して、彼らの職業がなくなり廃業に追い込まれたという悲劇や哀れの物語としてとらえてしまいますが、周防監督は、映画という新興産業が新しいテクノロジーによって生まれた当初、これがどのような可能性を秘めているのか、どのように発展していくのか、映画の作りても観客も未知であった。
弁士はそのような状況で、映画というものはこのようなものであり、自分たちが映画という未知のものを人々に知らしめるという意欲を持って、その活動に情熱を傾けていたリアルタイムの持つ熱情を描きたかったというようなことを周防監督は語っていました。
様々な要素や人々が絡み合って生まれるエネルギーが臨界点に達したとき、新たな文化が生まれますが、その時、その渦の中にいた人たちは、後世からとらえられた視点とは全くことなる躍動する世界を生きていて、それに気づくのは、いつも祭りが終わった後だということを改めて知りました。
現在のそのような文化の生まれるホットスポットはなんだろうと、思いをはせました。
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