2018年に47歳の若さで亡くなられた瀧本哲史氏の「読書は武闘」を読みました。
「武器としての」シリーズなどで知られたエンンジェル投資家で京大講師でもあった瀧本氏の、理論、戦略を支えるものが意外と古典と呼ばれる本であったということがわかりました。
瀧本氏は読書は著者との闘い=武闘であると考えました。
本を読む際に常に著者の考えに疑問を持ち、自分の意見を戦わせながら読む。
この本では同じテーマに対して真逆の考えを持つ著書を取り上げて、双方の主張とそれぞれに対する瀧本氏の意見が述べられていますが、これはまさにディベートの手法。マッキンゼー出身のコンサルタントでもあった瀧本氏の十八番とする手法だったのでしょう。
私は単なる活字中毒(文字を読むことに快感を覚え、その快感の依存症である)で、一日5時間近く本を読んでいますが、
私の、読書の姿勢は、たとえ、その著者の意見に賛同できないものであっても、面と向かって持論を述べられるダイレクトな不快感を感じることなく、まして自分から進んで著書の意見を聴こうとするから本を読んでいるのであるので、書かれていることにとりあえず「そうなんだ。」と全面的に受け入れる(肯定はできないとしても)姿勢をとっています。
洗脳されて、実際に書かれていることを実証したり、その考えで物事を捉えてみて、違和感なり、「違うなあ」と思われたものを改めて自分の考えとして取り出すようにしてみます。
それはまず否定してしまったら、その時点で自分とは異なる意見について考えることができなくなるからです。
たぶん、それは私の読書の姿勢の特質で、読むときはただ活字を追うことの快感を味わうだけで、その意味を深く熟考することができていないからだと、瀧本氏の読書法=武闘から感じました。
じっくり読みながら、時には著者と「闘う」気持ちで真摯に読書することの大切さを教わりました。
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