· 

「ちゃんと困る」必要性

 デザイナー ナガオカケンメイ氏が朝日新聞連載コラムの中で「ちゃんと困る」という表現をされていました。

 東京都の離島利島の役場の職員が話した言葉から引用したもので、

 離島の困るは、本当に困る状況なようで、

「誰かがなんとかしてくれる」と考えてはいられない。だから本当に考えてみる。本当に困ってみる。それを「ちゃんと困る」と表現していました。

 

いちいち、困ったと思ったら「自分ごとにして困ったそれと向き合う」。ちゃんと困る癖をつけることが、島で生きるということと結びつく

 その待ったなし、ひっ迫した状況を打開するために、

 とことん知恵を絞って考え抜いて解決策を見出すようです。

 そのためには、

 「ちゃんと困る」ことが必要だと。

 都会の便利な環境に暮らしていると気づかないのですが、

 実家の過疎の山間地に帰省すると、

 何かと不便なことがあり(例えば路線バスの運行が2時間おきであったり)

 自然の猛威(というほどでもないけど)をモロに受けたり(虫や獣害)を

 体験して、

 「困ったな」と。

 その状況を打破するのに、いろいろ知恵を必要とします。

 でも、それはケンメイ氏がいうように

 「じぶんごとの困ったこと」であるのだから、

 自分で解決するしかないのですね。

 都会で生活していると、誰かがやってくれて当たり前だと、

 その利便性の恩恵に対して無神経になって、

 時にはそれにちょっとでも支障をきたしたら

 イラついたり。

 困ることに対する耐性が低下してきているように感じます。

 「ちゃんと困る」ことの必要性を改めて考えました。