イブ・ヘロルド著「超人類の時代」の中で、「苦しみには落胆やフラストレーションや孤独のほかに、人生の意義をこう願う気持ちも含まれている」という言葉がありました。
テクノロジーの進化が医療と結びつき、体の不具合を治し元通りにするという従来の医療を超えて、その技術がヒトの持つ能力を「エンハンスト(機能増強)」に使っていいのかを問いかけています。
身体の様々な臓器が、最先端の医療テクノロジーによって従来の治療の枠組みを超えて、取り替えられたり、「機能を外部のマシーンに完全に依存したり、機能状態を24時間モニターし、自己管理できるようになっている実態が紹介されています。
現在のところ、それらは従来の治療法では治癒する手段がない重篤な症状で苦しんでいる患者の治療として試験的に導入されていますが、それが従来は傷病による形質の回復が目的とされた形成術が、美容整形として医療の目的を逸脱し、エンハンストのために行われているように、治療とエンハンストとの境界線はあいまいで、それを支える倫理の根拠は時代とともに変遷しています。
医療テクノロジーをエンハンストに使用するのに、従来の倫理で抵抗があるのは、そこに「痛み」がないからです。
それは「痛み(心身ともに)」を否定し、それを消し去り、際限のない人間の欲望を肯定を躊躇せず追い求めることを是とします。
痛みはその苦しみのため誰もがそこから逃れたいと思う感覚です。医療は人々の苦しみからの解放という願いを実現するために進化してきました。
一方、痛みの感覚は、その苦しみの中で人生の意義を考える契機を与えてくれる豊かな感覚でもあります。
また、危険や不具合のサインでもあります。
痛みを対象としそれを取り除き、その苦しみから解放されて本来的な人生をまっとうすることが医療の目的でした。
それがテクノロジーの進化によって、従来ならば苦しみや努力という当人の心身の負荷によって可能であったエンハンストが、それなしに可能であるように肉体を改造する手段として用いられるようになってきている、苦しみという意義ぬきで、手に入れる能力は果たして私たちの心身をどのように変えていくのか。
すでに私たちの生活は、多くのテクノロジー進化の恩恵を受けて、苦しみから意義を見出す人生から乖離されたものになってきています。それは今のところその多くは、身体能力を外部に代替することでそれらのことが可能となっていますが、それでも現代人の人生の意義とそれらのテクノロジーが存在しなかった時代の人々のそれとは様相がかなり異なっていると思われます。
そのテクノロジーが身体そのものに侵入してきたとき、果たして私たちの「生きる」ことの意義はどのように変化していくのか。その進化をコントロールできるのか。
未来の人間像が想像できないです。
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