· 

中国とは何か

 コロナウイルス流行の発端が中国湖北省武漢であったことから、流行の蔓延に関して中国政権の初期対応のまずさが指摘されています。

 中国は共産党一党支配で中央集権的政治機構が堅固なため、情報統制が厳しく政権に不利な情報はコントロールされる傾向が強いとされています。

 もし流行が中国で生じたのでなければ現在のような事態は引き起こされたのでしょうか。

 共産党が官僚制であったたため、習近平政権中枢まで情報が届いていなかったという説もあるようですが、

 事実は、感染が与える社会的な影響の大きさにビビッて、「正常バイアス」に陥って対応が遅れたというのではないかと検証されています。

 私もそうだと思います。なんといっても中国は人口13億の巨大な国家であり、国民を「人民」と一絡げに称したくなるほど、マスの威力は指導者の判断を狂わせる作用を及ぼしたように思います。

 今岩波文庫からリリースされた「中国の歴史 5シリーズ」のうち1.2巻を読んでいます。

 中国の歴史と言えば、高校の世界史で、ひたすら中国王朝の変遷を記憶させられたものしかありませんが、この新しいシリーズではそのような縦の歴史の流れではなく、中国という広大な、多様な国が、どのようにしてまとまっていったのか、それは他の地域とどのように影響を受け、与えていたのかという横のつながりも含めて、東西南北の地域の動的な変遷を捉えたもので、中国を新たな目でみることができました。

 20年ほどま前、東工大の生徒たちのグループに混じって、北京、重慶、武漢、深せんと、中国社会学院の受け入れで2週間ほどめぐりました。

 当時は社会主義市場経済が軌道に乗り始めた時期で「郷鎮企業」が全盛の時代でした。

 中国を駆け足でめぐる中、「よくもこんなに広大で多様な国を征服しようとしたなあ」と、戦前の日本の中国侵略の無謀さを痛感しました。村上春樹氏も言うように、日本は中国の膨大さに圧倒されて、まっとうな思考ができなくなったのではないかと。

 このシリーズを読んで強く感じたのは、中国の官僚制は2000年の歴史があり、支配者=天と、人民は直接結ばれていて、支配者からの一方的な権力だけでなく、人民からの承認によって成り立っている。だから指導者が天からの委託にふさわしくなければ革命を起こす「易姓革命」の思想が中国に深く根付いているということです。

 そして指導者と人民の媒介をしているのが「官僚」で、それは一人の指導者が膨大な民を支配する手段として「電線のような」単なる媒介的役割を担うものとして存在しているのだと(しかし、しばしばそれは権力をにぎりますが)わかりました。

 そして人民は、政治はお上がするもので、自分たちはそれに従っていればうまくやってくれる。しかしながら個々人のことは、姻戚、契りをかわした仲間等、横の堅固なつながりによって維持されているのだということも。

 基本的に人民は自分たちの生活にしか関心がなく、それが政治に結び付いているという感覚は中国人には薄いのは、「中国4年の歴史」によって培われてきた国民性ではないかと。

 今回のコロナウイルス流行という事態を「中国」的なものとの関係で見直してみると興味深いと思いました。