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大事にされた記憶

 先日ラジオで行き場のない妊婦さんを支援するNPOを主宰する助産婦さんの話を聞き、その中でどうして彼女たちは育てることが困難なのに妊娠するのかとの質問に対して

 「(行き場のない)妊婦さんたちの育った家庭の多くは、虐待など生育環境において安全で安心できる家庭ではなかった。だからその環境から逃げ出せる年齢(中高生以上)になった時に家を出て、ネットカフェなどを転々とし、その際に唯一頼れる相手がネットを介して彼女たちに居場所を提供するなどの甘い言葉で近づいてくる男性たちである。その目的は性的搾取であることは彼女たちも薄々気づいているが、「もしかしたら自分のことを本気で大切にしてくれるのかも」という万が一の可能性にしがみついてしまい、結果として望まない妊娠をしてしまう。」

 助産婦さんたちの仕事は、そのような妊婦さんたちの声を電話相談で聴き、必要があれば保護し、居場所を与え、安心して出産育児ができるようにしてあげることのようです。

 助産婦さんの言葉で印象に残ったのは、「彼女たちは大事にされてこなかった。傷つくことに敏感であったならば生きてこれなかった。だから自分を傷つけ搾取するかもしれない相手に対しても気づくことができにくい。そして何も持たない彼女たちにとって、唯一差し出せるものが自分の肉体である。」でした。

 人は何もできない無防備なまま生まれてきて、母親など周囲の大人から世話され愛される経験を通じて、「自分は愛され、大事にされる対象であるのだ」という自尊心を芽生えさせ育てていくことができます。自尊心がなければ人間生きていくことは困難になります。

 その意味で、望まない妊娠をしてしまう少女たちが、妊娠をし、さらなる貧困への連鎖のスパイラルに陥るのは、大事にされた経験の欠如が原因で、それは彼女たちにとってまったくの不可抗力な環境のさせるものだと感じました。妊娠という現象に現れてしまうところにジェンダーの問題も背景にあります。

 生きる支えとなる「大事にされた経験」。自尊心の源泉である「(誰かにとって)大切な存在である自分」。これが慈しめる母子(に限らないけれども)関係が、人生の初期にたっぷりと与えられたか否かは、彼女たちのような極限的な状況でなくても課題となっている人はきっと多いと思いました。