森本首相でオリンピック組織委員会代表の女性蔑視の発言が問題となっています。
森氏の発言はもとより、同席していた男性ばかりの組織委員が彼の発言に対して、何も反論せず、
むしろ共感のお相伴の苦笑いをしていたということで、
まざまざと、その場面が想像されました。
たぶん一定以上の世代の組織で働く女性の多くが実際に体験し、屈辱感と怒りと虚しさを関てきたであろうと。
私は組織で働くという経験がないので、その中で上手に「波風」を立てずにふるまうということが「苦手」なのですが、
そもそも「波風=異論を唱える」ことが、どうして、その場で、その時で組織のスムーズな運営を妨げるのかわからないという「鈍感」さ故もあるのですが。
しかし、今回のことが社会問題として取り上げられるようになったことで、
日本社会も変化してきたことを感じます。
以前ならば、多くの女性が「しょうがないこと。」「自分が悪かった。」と、
排除する側の間違いを受け入れ、自分自身を否定し、捻じ曲げ、組織の中で生き残りを図ざるをえなかったでしょう。
森氏に指摘されたと想定される女性委員の発言として、
自分は柔道というスポーツの素人であるけれども、その時数々の不祥事を引き起こしていた柔道組織の問題を改善するために、外部の意見を聞くという目的で選ばれたはず。だから、分からないことは正直に何度も聞きなおしたと言っていました。
たぶん組織運営を至上主義とする男性的な価値観からしてみれば、
「うっとうしい。」「じゃま。」
と感じられたのだと思います。
このように、組織の上の抑圧的な圧力に意識的にしろ、無意識的にしろ、粛々としたがって、
組織内のポジションを維持するという「男性原理」が、
今の時代では、もはや通用しなくなってきているのだと。
ファンであるコラムニスト小田嶋隆氏が、なんで森氏のような人をオリンピック組織委員の長としたのかについて、「墓場に持っていく」という奇想天外でありながら、最も男性中心の社会の本音を言い表していると膝を打って賛同してしまった思惑も、穿った見方においてアリアリなのだと思いました。
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