デジタルアーティストの落合陽一氏の対談を聞いていて
「デジタル社会への移行のドライビングフォースが、ウイルスだとは思ってもみなかった。」という発言がありました。
氏はそれは5Gの普及だと想像していたようですが、結果的に、社会への与えたインパクトは5Gよりも
強烈で規模も大きなものになったと。
そのように氏が考える根底には、
「制約のあることによって人間は成長する。」する。しかも平等な様式でという思いがあるようです。
コロナ禍がもたらすダイレクトなコミュニケーションの制約によって、
今まで移動などに費やされてきた時間や労力が省略され、
それはそれによって持つ者と持たざる者に格差を与えていた力でもあったのですが、
デジタルという「限界費用」の小さなものを媒体として広まっていくという
氏の説にはデジタル化とは程遠い世界に生きている私は共感しました。
そして氏はそのような現象に対して、
「発酵」というキーワードを当てていました。
発酵は限界費用がゼロに近い菌や身近な素材を用いて、それに携わる人もどのようなものができるのか分からないまま作業を続け、結果、思ってもみないものが生まれる。
デジタルの限界費用の低さは、発酵の原理と同じ現象をうみだすのではないかと
その可能性を語っていました。
デジタルというとその技術を使う利便性だけを考えてしまいますが、
利便性だけでない、それがもたらす様々な可能性を教えられました。
コメントをお書きください