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努力に頼らない人生

 落合陽一氏が、「『人の手』の担ってきたことを機械が置き換わることになってきて、DJ的な文脈センスと情報を編集する能力といったキュレーション力が必要な時代になってきた。努力に頼らない社会になる可能性がある。」

と言っていました。

 スポ根もののアニメが流行った昭和時代に育った人間にとって、努力は、個人ではどうしようもない資質を克服する最強の手段だという思い込みがあり、ある意味で自分の人生観を形成してきたところがありますが、

 それが無意味な時代になってきている。。。

 57歳のデジタル音痴な私は改めて時代の情勢に乗り遅れていることを自覚して、愕然としました。

 そして落合氏はこのような情勢は、デジタル環境の整備や教育など、これまた個人の資質に関係しない偶然によって左右されるものであるために、「格差」の意味も変わってくる。その本質に向かい合わなければならないとも。

 まず諦(あきら)めて、人間知の浅はかさを自覚して走りだす。全力で楽しむ。それがデジタルネイチャーだと思います。

 デジタルによる格差というものを受け入れて=諦めて、それは人間の持つ限界だと自覚し、それでも、そのデジタルを用いて格差をなくすこともできるし、デジタルが提供する環境を積極的に楽しむこともできる。

 そのような未来を作り上げることが可能になってきているのかもしれないと予感しました。