ロシア軍のウクライナ侵略が始まってから1か月が経過し、戦況は混乱している様子で、
配信で観ているABCニュースも連日ウクライナ関連のことばかりで、アメリカでも最大の関心であることが伺えます。
ウクライナとは陸続きのヨーロッパでは、この戦闘に対する恐怖は当事者としてのそれとして特別なものだと感じています。
その一つに戦闘を逃れて隣国に逃げてきた数百万のウクライナ難民に対して、ヨーロッパ各国が厚い支援をしていることです。
フランスでは、難民申請しているウクライナ人の人数を上回る住居提供が申請されているそうで、
その多くがバカンスなどに使われる別荘などだそうです。
これは多くのフランス人がウクライナ状況を当事者として受け止め、心の底から支援を提供しているからだと思います。
けれども、そのニュースを聞いた時、「フランスには難民を受け入れる余裕があったのか。」という意外感でした。
難民は今回のウクライナ人に限ったことではなく、それ以前にもシリア難民受け入れ問題がEU内で問題とされてきました。その際にシリア難民に対してウクライナ難民に対するような支援の声は上がりませんでした。
これはウクライナ人はヨーロッパ人と同じく白人であり、同じキリスト教徒であるという文化的共通点があるからだと考えられます。
人は隣人には自分と同じような人を望むものだと改めて感じました。
同胞意識は、その内部には共感や連帯感で強く結ばれ、しかし、その外部に対しては排他的になる必然があり、
それは人間の性としてしょうがないことなのでしょうが、
東洋人である日本人としては、ヨーロッパ人にとって果たしてシリア難民の側になるのか、それともウクライナ難民側になるのか、きっとヨーロッパ人自身は意識することはないでしょうが、善意ということに潜む「同じ」という感覚を意識してしまいました。
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