もう7年間わりと真剣に英会話の勉強をしています。
中・高と6年間英語を勉強しても、40年前の地方の学校教育や環境では英会話の機会はまったくなく、大学で外人の先生の英会話授業で初めて英会話(まったく会話を聞き取れず、話すなんでできなかった)を体験し、それ以来英語を話したり、聞いたりする必要性もなく、でも「これじゃまずいでしょう。」と20代の終わりころに2年ほど英会話教室に通ったのですが、全く上達せず、今に至るまでの親友と出会えたことだけが収穫でした。
8年前の東日本大震災後、実家の母が災害ラジオ(ラジオ+懐中電灯+サイレンが一体化したもの)を送ってくれて、ちょうどテレビが地デジになり、それまでもテレビを見る習慣がなくてほとんど見ていなかったのですが、それをきっかけとしてテレビを全く見なくなりました。
情報をネットだけから得るだけでは、なんとなく物寂しく、「そうだ、ラジオがあったのだ」と40歳過ぎではじめてラジオデビューしました。
前から気づていたのですが、私は情報を入力する感覚手段は聴覚が偏重しているタイプ、つまり耳派だったんだなあと。重度の活字中毒でもあるのですが、これは頭の中で言葉の音韻によって情報を得ていることでもあるので、やはり聴覚派。文字を読む際のビジュアル情報以外は、私の情報入力手段は音声であるということです。
それでラジオはすこぶる私の感覚にヒットして、それ以来、ラジオのヘビーリスナーになりました。
といってもCMはうざいのでもっぱらNHK第一と第二しかききませんが。
ということで、前置きがかなり長くなりましたが、NHK第2では語学番組が多数あることを知り、ここで本格的に(といっても、英会話のラジオ番組を聞くだけですが)英会話の勉強をはじめてみようと、一日述べ2時間、英会話の番組をはしごして聞き続ける日々が始まりました。
3日坊主になるかなと思ったのですが、ほとんど理解できない会話が徐々に聞き取れるようになるのが楽しくて、毎日聞き続けて7年。
思ったほど上達しなく、いまだ完全には聞き取れない程度ですが、それでも7年前に比べるとかなり上達したのではないかと、だいたい英語のニュースの内容はほぼ理解できる程度にまでなりました。
そんな中、英会話の番組の中で、「英語は複数がデフォルト」という言葉を聞きました。
英語ネイティブの人がモノを概念として想定するとき、それは単数ではなく複数だということです。
単数には特別な意味ー強調、単一性、所有ーなどが込められるということ。それ以外は複数で考えているというおことです。
日本語ネイティブの私は、モノの概念は単数複数意識することはあまりなく、漠然としていますが、英語ネイティブの人はモノの数について意識的であるということです。
これが外国語を学ぶ時の楽しさで、自分の思考がいかに言語の性質に影響されているのか。それによって生まれる思考はその性質の違いによって異なるものになるのだということ。
日本語話者のモノと英語話者のモノとは、異なるものを想定しているのだということに改めて気づき、それが文化の違いにも関係しているのだろうと思いました。
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