ラジオ深夜便の「絶望名言」のコーナーのファンです。
文学紹介者頭木弘樹氏が、古今東西の名著から絶望に効く名言をピックアップして紹介するコーナーです。
今回は小説家中島敦でした。
「山月記」で知られる中島敦は、重度の喘息に苦しみ、また育った家庭にも恵まれず(けれども結婚して築いた水らの家庭は幸せでした)、親の借金や病気の費用などで経済的にも苦しみ、作品は生前評価されず、33歳で喘息で亡くなりました。
彼はそのような苦しい人生の中でも、いやだからこそ、刻苦勉励して文学に励みました。
そして自身のそのような人生を、苦しみがあるからこそ幸せを感じると捉えていたようです。
順風漫歩な人生では決して幸せになれないと。
その考えに対して、自身も20歳のころ発症した難病で10年以上闘病を余儀なくなれた頭木氏は、
「幸せになるには、ちょっとずついいことがないといけない。
快適な生活ばかりになると、不快感が大きく感じられる」
と言っていました。
「幸せは偏差にある」と以前何かで読んで共感したことがありますが、人間の感覚の特徴からも、例え快感であっても、変化のない状態は不快になり、快はその前のマイナスからの変化によって感じるということです。
しかし、頭木氏は、
「極端は楽。ほどほどは難しい。」ともいっていました。
確かに、中庸は曖昧で不安定で自分自身で基準を決めなければならず、それを実現することは難しいように思います。
そして中島敦の苦難の人生を、苦難ゆえに(小説家として)ふさわしい人生ではなかったかの評価に対して、
「ふさわしい人生なんてない。(結果としてすばらしい作品を残すことができたが)、決して中島当人は、喘息や経済的に苦しかった人生を、ふさわしいとは感じていなかったであろう。」
第三者が勝手に「ふさわしい」と、
もっともっと生きて小説を書き続けていきたいと願ってもかなわなかった中島敦の人生を、当人に代わって決めつけることの傲慢さを批判する頭木氏に共感しました。
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