アンジェラ・ダックワース著「グリッド やり抜く力」を読んで、幼い頃よく言われていた「最後まであきらめずにやりぬきなさい。」という言葉の持つ重みを再認識しました。
大人になって他者からそのように言われなくなったこともありますが、自分自身が、自分の才能、能力等々、客観的に判断し、分別して、適当なところで「諦め」るようになってしまっています。
子供の頃は何かに取り組むと、それをやり遂げるまで必死でやってしまい、傍でその様子を見ている大人から、
「いいかげんに諦めなさい」と窘められるようなことが多々ありましたが、この本では、周囲の大人の対応は真逆で、子供が興味を持ち夢中になっていることを続けるために、時には厳しく、時には優しく、強制ではなく導くことが、「やり抜く力」を養成するために重要な推進力になるとありました。
私も子供の頃、周囲の大人が私の「やり抜く力」を認め、励ましてくれたら、もっと頑張れる大人になったのかなあと、すでに妙に分別くさく、諦めの早いことを人生の指針にしてしまっている私は感じました。
この本の中で、やり抜く力というのが、才能だけではないということが強調されていることです。
それは才能に優れた人に対して、「あの人は天才だ」と天井人のように別格の才能を持った特別な人のように敬い遠ざけるのは、自分自身の中の嫉妬心や失望を喚起しないようにしてしまう作用であるとダックワース氏も指摘しています。
才能とは、短期的に集中力を発揮できる力で、困難なことをやり遂げる「やりぬく力」の一部に過ぎず、大事なのは、持続的に何度も諦めずにフィードバックをしながら続けて進歩していくことです。
そのためには、確固とした目的を上位の概念で持ち、具体的な実現可能な小さな目標をづぎづぎクリアしながら、最終的な目的を達成すること。
そのように首尾一貫した価値に従って己の人生をプロヂュースしていくのは、まさにアメリカンスピリッツそのもので、グリッドはアメリカ人の魂なのだと、日本人の私はそれに多少の違和感を感じてしまうのでした。
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