工業デザイナー ナガオカケンメイ氏の朝日新聞でのエッセイ「ロングライフ」を楽しみに読んでいます。
デザイナーとして、新しいものが次々と生み出され、それを消費者も飛びつき、一時的にそれを得た喜びを得ても、その新規性が失われると、それに飽きてしまい、使われなくなる。。。そのことへの疑問から氏は、長く使い続けられるをキーワードに自身のセレクトショップされているようです。
今回のコロナウィルス感染流行のための自粛によって(強制的にしろ)、生まれたのは時間。
そんなに忙しいのだろうか。そんなに急いで手に入れる必要があるのだろうか。そんなに急いで手に入れて、それと引き換えにした時間の所在は、ちゃんと把握しているのだろうか。
確かに私たちは「効率」という価値観に占有されています。特に効率の対象とされるのが時間です。
できるだけ時間を短縮して目的を達成するために、皮肉にも「時間を費やして」しまっています。
そして、例えそうして節約された時間は、別の時間を節約するために使われて。。。。と、いつまで経っても、短縮した時間で生まれた余裕の時間は(あるはずなのに)見出せない状態になっています。
今回のコロナウィルス感染のような外部からの強制的な時間の流れの停止によってはじめて、時間を追い求める循環が止まり、時間が生み出されました。
その時の戸惑い「自分はこの時間を生み出すために、一生懸命時間を効率よく使おうとしていたのか」と。
その時気づきます。
「何もない時間は、そのままでは何の価値もないけれども。自分で何色にも染めることのできる可能性のある時間なのだ。」と。
ようやく時間に対して主役になれます。
ナガオカケンメイ氏の言う、「急いで手に入れて引き換えにした時間の所在」は、自分が主役になって新しい家を建てるとことによって居場所を生み出していくのだと思います。
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