昨日のラジオ深夜便「明日へのことば」(毎朝拝聴するのが楽しみなラジオ番組)で、緩和医である大橋洋平氏が希少がんである「消化管間質がん」になって、患者としての体験を語っていました。
がんというと国民の半数がかかるメジャーな病気で、早期であればがんによっては生存率が5年を超える(がんを持ちながらも寿命を全うできる)ほど治療率も進歩してきて、検査方法も進んで発見も容易になっているという印象がありますが、実は日本人に多い胃がん、肺がん、大腸がん、乳がん、肝臓がんなど以外の希少がんと呼ばれているがんが多くの割合を占めて、がん全体の述べ4割近くを占めているそうです。
希少がんは患う患者も少ないため、研究者も少なく、その仕組みが解明されにくく、データも少なく、専門医も少なく、治療をする医療機関も限られ、薬も採算が合わないため開発が進まず、治療が困難ながんだそうです。
大橋氏は、そのような希少がんに罹り、そして発見されたときにはステージ4の末期の状態だそうで、医師として自分の状態が予断を許さないものであることは痛いほどわかっておられると思います。
内科医であった大橋氏は、終末期医療を志し、緩和医になり、末期がん患者の苦しみに寄り添ってきたにも関わらず、自分自身ががん患者の立場になり、抗がん剤治療など、厳しい抗がん剤治療などを体験して、患者の苦しみの当事者となって、はじめてその苦しみがわかったことが多々あったそうです。
また周囲の人たちが患者さんのことを思い、よかれと思って言ったりやったりすることが、かえって患者さんを苦しめていることもある(食べられないのに、体力をつけるために食べてほしいと要求することなど)ことも知りました。
医者としてできるだけ患者さんの気持ちに寄り添うように努めてきて、そうしていると思っていたのに、実はそうではなかったことも、患者になって気づいたそうです。
たぶん残り少ない人生を、医者として患者として両方の視点から病の治療に対して意見を発信していくことが使命だと考えられているのが、病を感じさせない、すがすがしい語りから感じられました。
そしてがん患者として生き抜くための支えとなる言葉として「一期二会」を挙げられていました。
一期一会は一度の出会いを二度とこない貴重な出会いととらえ、人と出会う今この時を大切にしようとする意味ですが、大橋氏のいう一期二会は、また再び会いましょうという願いをこめて別れるというものです。
再び出会える希望が生きる支えとなる。
これは医者であるゆえに、自身の病態を知り尽くしている大橋氏が命に対して見出した生きざまだと感じました。
コメントをお書きください