ダフナ・ジョエル著「ジェンダーと脳」を読んで、目から鱗の体験をしました。
「男脳」、「女脳」ということは最近よく聞かれることで、男女のジェンダー(社会的な性的行動)は自明のことだと思い込んでいた自分を再認識しました。
育った家では、三人兄弟の真ん中で私だけが女ですが、両親から少なくとも記憶にある範囲で「女の子だから。。。」と他の兄弟には許容されていることを禁止されたことや、お手伝いを強いられたことはありませんが、
気がついたら、食事の後片付けは兄や弟はしないのに、私だけが母と共にしていたしていましたが、それは誰かがやらなければならないこととして、別に性別のためと思わずにむしろ進んでしていました。
そのような環境で育ったために、女であるジェンダーをあまり意識することなく、大学まですべて共学で理系だったので男性の多い環境で過ごしてきて、女性差別や蔑視、女性であるジェンダーを強いられた経験はしてきませんでした。
自分の人生選択においてジェンダーが影響を与えたことは確かですが、多分他の女性と比べてそれは小さなものだったと思われます。
自分が女であるということは男との違いー身体的特徴や感情や行動ーを通じて感じていましたし、女の身体とジェンダーの間に性同一障害を抱える人のような違和感や嫌悪感は一度も抱いたことがありませんでした。
自分は「100%女である」と、無意識に思い込んでいましたが、この本で、実は100%女もしくは男(の脳)など、ほとんどなく、大部分は、男・女のジェンダー的振る舞いを支配する脳がモザイクのように組み合わされ、身体の性とは別に、「部分的に男、部分的に女」であって、その割合は個別であるということを知りました。
自分が感じることのすべてが、ある時は男的であり、ある時は女的であり、それは状況によって変化しうるということも。
そして男女を決定づけているという性ホルモンも、思春期や妊娠・出産期以外はあまり違わないということで、男性ホルモン、女性ホルモン、ムンムンということはほとんどの人ではないようです。
改めて、自分のジェンダーが男と女のモザイクでるということは、アイデンティティの認識にも大きな変化をもたたしました。
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