現在コロナで緊急事態宣言が出ていて自宅で自粛モードなので、池内紀氏の全集「池内紀の仕事場」全8巻を読み進めて3巻目、「<カフカ>を読む」を読みました。
池内氏はマックス・ブロート編集のカフカだけでなく、近年発行された手稿集のカフカ版を全訳されたカフカの翻訳者でもあります。
翻訳中は、全身「カフカ漬け」であったそうで、そのためか、池内氏のカフカ像は、この個人としても作品としても寡黙な人の内面を深く理解したもので、100年前プラハに生きたカフカが目の前にいるような親近感を覚えました。
20年近く前ですが、プラハの旧市街を訪れたことも思い出しました。
この生前は全く無名で、ブロートがカフカの命に反して作品を焼却しないでいたために後世私たちが作品に触れることができるようになったカフカ。
池内氏もカフカの作品や人物の謎に深く魅了され、ミイラ取りがミイラになるようにカフカに没頭したことが、氏のカフカの語りに感じられます。
カフカの作品の特徴を一言でいうと「孤独」だと思います。
カフカを読む人は、彼が作品で表そうとした人間の実存的ともいえる孤独を自分のそれと反映して、その引力にひきこまれてしまうのだと思います。
気づいたらカフカの仕掛けたその孤独の迷宮の中で道に迷い、彷徨しつづける。。。
カフカを読んだ後の読後感の、なんとも言い表せない「気持ち悪さ」を味わいたくて。
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