東京都も緊急事態宣言解除宣言がだされましたが、正直、2か月近くの外出自粛解禁といっても、解放感がありません。
それまで日課としていたジョギング、買い物がてらの緑道ウオーキングは、日本では法律で罰則を伴わないためもあって自粛ですまされているので、毎日自由にできたこともあって、自宅にこもることの肉体的なストレスは感じずにいられたこともあります。
また、もともと住んでいる地域をうろうろすることが好きで、電車で15分程度でいける新宿にも年に数回必要な買い物にでかけるくらいで、お出かけ自粛に対する精神的なストレスがほとんどなかったからもあります。
むしろ仕事も休業状態で、一人だけの家事をさっさとすませ、午後の時間たっぷり使って読書(ローマ人物語全15巻完読)できたこともあり、心身ともにリラックスして有意義な時間を過ごすことができました。
仕事休業状態における生計のことは、今の状態では自分でどうすることもできないので、なすがままにまかせて、考えないようにし、それよりも一生の間、これだけ自分のためだけに好きなだけ自由に時間を使える機会はきっとこないだろうと、一人生活を満喫しました。
だから、この生活が終わり、またもとの生活(といっても、会社勤務の人たちのような生活ではないので、かなり自由ですが)に戻るのかと思うと、まだまだ名残惜しい気さえしています。
そしてなにより解放感がないのです。
当たり前か。
解放感は、自分では望まない心身の束縛状態から自由になることによって生まれるのだから、これだけ自由に過ごせて、いったい何から解放されるのか。一応強制され選択の余地がないことではあっても、引きこもることに、自分だけではないという不公平感、不本意感、物理的に引きこもることによって生じる心身のストレス等々。。。それがないのに、解放感など味わえるはずもないということです。
緊急事態宣言解除を指折り数えて待ち構えた期待感もないし。
解放感がないのは、感染リスクは消えたわけではなく、むしろこもっているときよりも、解放された状態での以前のような生活様式は困難で、流行前と違って常に感染にリスクに留意しなければならないする不自由な生活を余儀なくされることによる「不解放感」に包まれているのが現状だと思います。
それはウイルスと共存しながら生きていくということと同義なのかもしれません。
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