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書く人は料理人

 ラジオの新春談話で批評家若松英輔氏が語っていたなかで「書く人は料理人」という言葉があり、共感しました。

 言葉は書かれただけでは未完成であり、料理人が作る料理は食べてくれる人がいることで「なんぼのもの(という表現はしませんでしたが)」であるように、書くものは読まれることによって命を吹き込まれると。

 しかし食べ物と言葉との違いは、作家が生きている間に読まれることはなくても、死後、誰かによって読まれることによって蘇ることができることであると。

 日記を書くという行為であっても、それは書いた本人(時には他人)が書かれた内容を読み返すことによって、書かれた思いが思い起こされる=命を吹き返すように、書くという行為は、必ず他者に向けた投擲であり、それはそれを受け止める(読む)相手がなければ、単なる独り言、つぶやきになってしまいます。

 こうしてブログを書き続けるのも、誰かが読んでくださること、私の投げかけた言葉が受け止められ、命を与えてくれることを期待しているからだと改めて自覚しました。

 話すことはリアルタイムで、相手に言葉を伝えますが、書くとはそれを読む(受け止める)人との間に、時空のラグが生じます。それはライブの持つ強烈なインパクトはないですが、そのぶん、与えられた言葉が受け止め手の中で反芻されて新たな化学反応が生じてきます。

 そして話された言葉はライブならば、即座に消えてなくなるもの(録音された言葉は書き言葉と同じような作用)に対して、書き言葉は書かれた後に生き残ることができます。

 料理が作り手の思いから自由に味わえるように、書き言葉ももっと作家の思いから自由に読み手の中で味わっていいのだと若松氏の話から思いました。