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書く行為の創造力

 伊藤亜紗著「記憶する身体」の中で、中途全盲者の30代の女性が、健常者と同じくらいの速さと正確さで対話の最中にメモを取っている様子が描写されていました。

 その様はアクロバティックすらあり、メモの最初に戻ってアンダーラインを引いたり、イラストを描いたり、A5の小さなメモ用紙をはみ出すことなく小さな文字でびっしりと書いていく様に、書くという行為が、単に脳の記憶媒体ではないのだということがわかります。

 彼女は失明する前(生まれつき強度の弱視ではあったけれども)から、書くという行為そのものが好きで、姉の辞書を盗み見ては化学式をすべて書き出してしまうほど、書くという行為にアディクトしていたという身体の記憶があるようです。

 彼女にとって書くということは、肉体に染み付いた書くという行為によって、創造性が刺激される行為なのではないかと伊藤氏は考えます。

 そのことから、健常者である私たちも書くという行為が、書かれた文字が記憶のバッファーであるという受動的な役割を果たしているだけでなく、文字を書きつけるという肉体的な行為が、創造性を掻き立てる可能性を含んでいるのだということに気づかされます。

 確かに、あらかじめ何を書こうと考えないでいても、書く(キーボードを打つことも含めて)行為を開始すると、自然と言葉が生み出されてくるように感じます。(このブログを書いているときもそう)。

 全盲の彼女の書くという行為から、書くという行為が視覚の補助という層だけでなく、書くという行為が肉体に刻まれた記憶とも深く関係する重層的な行為であるということがわかりました。