東京都の新型コロナウィルス新規感染者が200人を超えました。
PCR検査を多く実施するようになったから。感染者の多くが(夜の街関係も含めて)20~30代の若者で、症状はないか軽いものが大半であるということ(重傷者は6人)。そのため現在の医療体制で十分対処できるため、感染対策の変更は行わないとの都や国の方針です。
私も現在の状況(で感染状況がとどまってくれるのならば)、新型コロナ感染症の特徴的な病態(免疫力のある若年層とそれの不足する高齢者で重症化の割合が異なる)から、都や国の方針は正しいと思っています。
しかし正しいと(思っている)ことの中に、希望的観測や、事態を診たく多いために矮小化している部分も否定できません。
正直、緊急事態宣言によって仕事の上でかなりの損失を被って、ようやく少しずつ以前の状態に戻りつつあるのに、もし再び緊急事態宣言になると「もうかんべんしてくれ!」と誰に対して(新型コロナウイルスに?)向けられるのかわからない怒りのような、うんざりした気持ちに囚われます。
きっと自分を取り巻く物事が自分の思うように事態が進んでほしいという人間が本能的に抱く利己的なコントロール願望からきているのでしょう。
すべてをなすがままに受け入れるということは難しいです。
自然災害やウイルス感染のような人間の力ではどうしようもないものに対しては、それらが繰り返し襲ってくる国土に生きてきた私たち日本人の祖先は、それらをひたすら敬い、怒りを恐れ、それをいなし鎮めようと、各地に残っている祭りなどが示すように、受け入れてきたことは文化として育まれてきているのですが。
文明の発達によってすべてのことが人間の力でコントロールできるはずだという思いが、私の心の中にあるのだなあと、今回の新型コロナ流行の状況に対する想いから感じます。
自然は私たちの思いとは全くものである「他者」であること。そしてそれに対して私たち人間ができることは、古来から日本人がそうしてきたように、「しょうがないもの」として受け入れることなのだと改めて感じました。
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