· 

感受性の低下

 昨晩からの結構強い雨で、きっと満開の桜の花は散ってしまうことでしょう。

 今年も桜の花見が楽しめた期間は1週間で、本当に「花の命は短くて。」を実感します。

 毎年同じように桜が咲くのに、それを眺める私自身の心境には変化があります。

 今年はなぜだか、桜を見ても強い感慨が湧き起こりませんでした。

 いつもは、枝一面にたわわに咲くピンクに圧倒されてしまうのですが、

 今年はそうなりませんでした。

 その原因は、長引くコロナ禍とウクライナ侵攻が原因のような気がします。

 第6波の蔓延防止が解除されたとはいえ、感染者数減少は下げ止まりで、さらに再び増加傾向になっています。

 2年前の4月一日にはじめて緊急事態宣言が出た時は、これからどうなるのだろうと強く不安に感じたのを覚えています。

 戦争でなければ経験できない、国による国民の生活機能を制限させる体験は、戸惑いと不安でしたが、それが何度も繰り返されるようになり、マスク生活が当たり前のようになり、ワクチン接種も普及し、2年間も友人とは直接会うこともなく過ごす日々。

 感染防止のためできるだけ人と接触しないような生活は、偶然の出会いも減少するということで、もともと平穏な生活でしたが、それが平穏を通り越して単調でマンネリな日々になっています。

 そのことに対しては強い不満はないのですが、知らず知らずのうちに、ライブの感動機会が奪われて、感受性が鈍くなって閾値が上がってきているのかも知れません。

 そして連日映像で流される遠くのウクライナの戦況に対しても、リアル感が感じられず、これも感受性が鈍ってきていることの証拠のように思います。

 あ~感動がないままに桜が散ってしまいました。