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感染症との付き合い方

 山口の実家に住む86歳の認知症初期の母と、電話で、コロナウイルス感染予防について注意していても、認知症で事態を把握できていないこともありますが、やはりまだ地方の人たちは感染者が東京と比べて少ないため危機感は薄いのではないかと感じました。

 でも地方の方が高齢化率が高く、救急医療も脆弱で、いったん流行してしまうと医療崩壊の深刻な状況に陥ってしまうことが予想されます。

 ちなみに実家のある山口県萩市では地域基幹病院は一つ(民間病院と市民病院がこの春統合)で、ICUは10小未満だと亡き父の入院の際確認しました。重篤な感染者が多く発生したらとても対応できないようです。

 先日ラジオで漫画家のヤマザキマリ氏が、イタリアにいる夫(コロナ感染のため氏は帰国できない状態)と電話で毎日話していて、イタリアのどんどん死者が発生して社会全体が混乱している状況と、3月末の連休中の日本ののどかな状況(家族連れで多くの人が花見を楽しんでいた)とのギャップがあまりにも大きくて、夫は言葉を失って会話が成り立たなくなっていたと語っていました。

 現在母と私の会話もそれに近い状況になってきています。

 現在の東京の状況で、そのギャップは小さくなってきているのではないかと思います。

 感染症は文明病です。

 農耕が始まり、人々が家畜などとともに密集して暮らすようになり、都市化が進んだ環境で発生する現象で、自然災害とは異なります。

 人間のなす手がないように思え、社会に与える影響が大きいことで、パンデミックと自然災害は、それを受ける私たちには同じように捉えてしまいますが、人間が引き起こしたものが人間のコントロールを超えてあたかも自然災害のような様相を呈してきている現象だということを改めて考え直して、自然と人間の関係の最も賢明な方法が共生であるように、一度人間の手を離れた感染症という現象も、自然との関係性にならってみることが最も有効なのかもしれません。

 そのためには、自然災害の予防や自然の摂理に適った人間行動をとるように、感染症に対しても同じような対策が求められるのではないかと思われます。

 日本はもともと自然災害が多く、自然を「畏れ敬う」ことで自然と付き合っていく文化が継承されています。感染症に関しても、いたずらに人間の力を過信してコントロールする方向ばかりにいくのではなく、それを正しく畏れ、敬う(行動を制限)ことが正しい感染症との付き合い方だと思います。