· 

健康への圧力

 医師名郷直樹氏の「65歳からは検診・薬をやめるに限る」を賛同と違和感の両方の詰った思いで読みました。

 名郷氏は10年以上のへき地診療をへて、現在は西国立で地域診療をされています。

 EBM(エビデンスベイストメディシン)重視で疾患を捉え、

 様々なデータから、私たちの体はたとえ医療が進歩しようが、「からだによい」栄養素を摂取しようが、「健康長寿」へはほとんど貢献していないことを明らかにしています。

 それよりも、70歳を過ぎると誰でも必然的に身体的な老化は加速する。

 そうなる65歳~70歳という、身体の自由がきき、様々な社会的拘束から解放されるこの年代を、

 病気を恐れて、節制し、不自由な生活を送るのではなく、

 健康ということに囚われることなく、自由に食べたいものを食べ、やりたいことをやるべきだ。

 というのが、様々なデータから明らかになる逃れられない老化現象に対する名郷氏の主張です。

 確かに、世間で流布し、政府も推奨している、「老後を健康へ」誘う様々な手段や政策は、

 データを曇りない目で見ると、たいして、というか、ほとんど、効果がないものばかりです。

 私たちが健康を目指して、食べたいものを食べず、したいことをしないで節制してきているのは、

 ほとんど無駄であるように思います。

 名郷氏はそのように日本の高齢者が健康寿命神話にしがみつくのは、

 「老いて誰の世話にもなりたくない。自立した老後を送らなければならない」という、

 誰にも頼れず自立を強いられる日本社会の高齢に対する風潮があると考えます。

 老いは避けられず、誰もが人の世話にならざるを得ないという、

 この現実をまずは受け入れよ。データがそれを示している。

 確かに、データに突きつけられる現実は受け入れざるを得ないと感じます。

 しかし、それでも、

 医療というのは、すべて過去のデータのエビデンスを元に診療、治療するという原理になっています。

 それは多くのデータから導き出した帰納法的な手段を取ります。

 しかし、私たち個人個人の身体は遺伝や生活習慣や環境によって、千差万別で、

 データに必ずしも沿わないことばかり、「すべては例外」です。

 したがって、データがこうだから、健康長寿は無駄なこと。

 潔く諦めよ。

 というのは、99%納得できても1%の抵抗感があります。

 事実を十分理解して、それでも健康長寿を目指すにことにおいて、

 たぶん名郷氏も反対しないでしょうが。

 節制がそれほど苦痛でなく、それが自分の自由さをそれほど制限するものでない範囲で、

 やはり、健康長寿を目指して、日々勤しんでいきたいと感じるのでした。