おとついから早朝駒沢公園ジョギングする際にマフラーで顔を覆うようにしました。
正直苦しいですが、走りながら追い越していくウオーキングの人に対する配慮です。
確かに走る際に激しい呼吸をするので、ウィルスが混じった飛沫が人にかかる危険がある可能性があることへの配慮ですが。
しばらくは、人を追い越す時やすれ違うときに、半径10メートルぐらい迂回して走っていましたが、それに加えてのマフラーです。
駒沢公園ではほとんどのジョガーがマスクやマフラーを着用している状態になっているので、それをしないことに対する同調圧力も自意識的に感じています。
感染リスクに対する科学的な根拠が確かであったならば、感染予防のために必要だと思われますが、恐怖や不安を根拠にした予防は、その基準がどんどんエスカレートしてしまうことを実感しています。
外出時にマスク着用、手洗い重視、人との距離をとること等は、科学的に感染予防に有効なことが証明されていますが、マスクはあくまでも飛沫防止でウィルスはマスクを通り抜けますし、手洗いも100%ウィルスを防御できませんし、人との距離を取ることでどれくらいの予防ができているのか、これは証明のしようがないので専門家の指示に従うしかないという事態が、自己判断も加味されて、人それぞれに対処の仕方が異なってきます。
私は元来おおざっぱでいい加減なところがあるので、自分を基準にはできず、他者の基準を想定しながら模索する状況ですが、専門家の意見も一致していなく、何を基準にするか悩んでしまいます。
必要以上の恐怖や不安に陥りたくはないのですが、他者の思いも配慮したいし。。。のジレンマです。
とりあえず、緊急事態宣言が延長される様子なので、それの期間中ジョギングする際にはマフラー着用していこうと、これが私なりの基準想定の妥協策です。
そして大事なのは、自分の基準に沿っていない人を非難や批判する気持ちを抑える(持ってしまうのはしょうがない)ことです。自分の基準が必ずしも正しいものではないこと。人それぞれであること。
コロナウイルスのやっかいなところは、感染当初は症状がでないということで、それに対する予防対処は、自分自身よりも他人に感染させないことに重点を置くことだと心掛けていこうと思います。
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