今朝も起きたら肌寒く、昨日に引き続き梅雨に入ってもいないのに「梅雨寒」の天候のようです。
昨日は東京でも20℃に届かず、朝晩は雨、日中はどんよりと曇って寒い一日でした。ほんの2~3日前は半そでで汗ばむくらいだったのに。
コロナ流行のことに気を取られて季節の移り変わりを自覚することが少ないせいか、今年の春は暖かだったり寒かったりと不順で、桜の花もだらだらと咲き続け、花見を堪能する時間的・空間的(緊急事態宣言が出たので)不自由で、いつの間にか散ってしまいました。
本来は一年でもっとも気持ちのいい季節のはずなのに、外出自粛で早朝ジョギングと買い物がてらのウオーキング以外は家にこもってさわやかな5月の季節を味わうことができませんでした。
そして、今週は梅雨のような雨と肌寒さ。
なんだか近年温暖化の影響もあって、季節感が混迷しています。
私の季節感は、やはり成人するまでの、昭和の時代の穏やかな日本文化をはぐくんできた四季の移り変わりのメリハリが穏やかながらにもあるものだったのだなあと、近年の気象の変化に戸惑っていることから自覚します。
もしかすると平成や令和生まれの子供たちは、このような私にとっては「異常」気象と感じられるのを、当たり前として受け止めているのかと思うと、季節感という1年を通じて移り変わるものでありながら、そのサイクルは不動であると思われていたものでさえ、世代間の違いが生じるようになってきたのかもしれないと、
「幸せは繰り返し」
これはミラン・クンデラの「存在の耐えられない軽さ」の中でヒロインが感じたセリフですが、季節感の繰り返しを味わうことができなくなってしまうことは、幸せでなくなることなのかも知れないと感じました。
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