東京都から新型コロナ流行のため「不要不急」の外出禁止を要請されたため、当治療院も開店休業状態。春の陽気で天候はいいので、いつものジョギング、ウオーキングで、散り際の桜を、人の少ない早朝の駒沢公園、誰もいない「桜の小道」で堪能しました。
今年の桜は「白っぽい」からか、見る側の心が反映されているのか、圧倒されるような美しさ(毎年、木全体がピンクに覆われている様子の圧巻に息をのむのですが)が感じられず、不完全燃焼の一人花見(いつも一緒に花見する友人は介護のため実家に帰省中)でした。
そんなこんなで時間があるので、必然、テレビのない独り者の私は、読書に没頭してしまいます。
今日読んだ「夫・車谷長吉」高橋順子著は、高橋氏の車谷氏への思いが憑依したような心境になりました。
「全身小説家」という本がありましたが、高橋氏は車谷氏に対して「全身妻」である20数年間の結婚生活であったと思います。
突然のストーカーまがいのファン「絵手紙」の応酬。40代後半の詩人であり編集者である高橋氏が、次第次第に車谷氏の純真さに惹かれていく様子が、普通ならば「ドン引き」してしまいそうな絵手紙の内容とイラストに、詩人ゆえの感性で、お互いに似た「孤独」をかぎ分けたのだと思います。
しかし結婚は予想どおり修羅場で、強迫神経症を患う夫の症状に振り回され、私小説のため、モデルとされる多くの世話になった友人知人親戚から訴えられ、それがますます彼の神経を追い詰められ症状が悪化していく様子。
一人でいることに耐えられず、絶えず二人一緒にいることを求める夫。
それまでの独り暮らしとは一転し、しかし実は自分の中も、飼いならしきれえいなかった孤独があったことを、濃密な車谷氏との関係の中から高橋氏は感じ取っていたのではないでしょうか。
車谷氏は「贖罪」の意味をこめて、高橋氏は父親のルーツをさぐるために、四国遍路を二人で回った「幸せな思い出」。その時の花畑を歩く二人の写真は、本当に幸せな夫婦の笑顔が輝いていました。
突然の事故のような車谷氏の死。しかしその前から心身ともに衰弱していく様子から高橋氏は夫の死を予感していたのではないでしょうか。
ラジオで夫のことを語る高橋氏の言葉から興味を惹かれ読んだのですが、独身の私ですが深い感動を覚え、夢にまで出てきました。
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