東京はコロナウイルス感染の再拡大が続いています。
高齢者のワクチン接種が進んでいる(私もすでに一回目を接種)のに、
まだワクチン接種されていない若年層に感染が広がっているようです。
コロナ感染流行からはや1年半。
感染初期の恐怖や緊張感が薄れ、感染防止のための自粛の気持ちがゆるむのはしょうがないような気がします。
ウイルスは目に見えない、感じることもできないものなので、
常に私たちはそれに対して意識的に想像しつづけなければならないため、
精神が疲れて、麻痺状態になっているのかも知れません。
イタリア人作家パオロ・ジョルダーノ著「コロナ時代の僕ら」を読むと、
これが書かれたのが、コロナ感染がパンデミックになる直前のイタリアの状況がリアルタイムで(新聞に定期投稿)綴られているのですが、
作家ならではの敏感さと理論物理学を専攻したという理系的な感覚もあり、ウイルス感染の拡大の可能性を感じ取り、それへの不安や恐怖やこれまでの生活が変わりつつあることに対する戸惑いの気持ちなども綴られています。
日本でもコロナ感染が始まってはや1年半たった現在これを読むと
ジョルダーノ氏が感じていた感覚が、もはや私の中にはなくなっているなあという感じです。
「コロナ慣れ」とも言える感覚に自分が陥っているのに気づきました。
ジョルダーノ氏が繰り返し「このことを忘れない」と言ってる理由が分かったような気がします。
まだ感染状況にありながら、すでに忘れかけているのですから。
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