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WIHTコロナの現実

 新型コロナウイルス感染のパンデミックになって早7か月が過ぎました。

 パンデミック前と現在では私個人も社会も様相が変わってしまっているのですが、7か月という時間は変わる前がどうであったのか遠い昔のような気がします。

 感染予防のため、マスク着用、手洗い、三密を避けるという行動は、私を含めすべての人が習慣化しているようで、これは感染収束後も文化として定着するのではないかと思います。

 新型コロナウイルス感染対策として、人々の社会生活に最も大きな影響を与えたのはコミュニケーションの方法の変化でしょう。

 リモートワークが当たり前となり、外食の代わりに宅配、旅行などの自粛、集会やコンサートやスポーツ競技観戦の禁止等々。

 当初はそれまでの生活との変化に不便や不満を感じていましたが、長期にわたってくるとそれにも慣れて、

「こんなもの」だと私と含め多くの人が受け入れるようになってきたような気がします。

 比較的変化に抵抗なく受け入れられたものは、以前の社会風潮で「当たり前」だと思って従っていたけれども、実は苦痛であったり、嫌であったり、そんなによくもないものであったり、なんとなくみんながするからしていただけであったりと、積極的にその習慣を支持していたものではないものが多いように感じます。

 「なければないで別にいい。」

「こういうやり方があったのか!」

 新しい様式に意外に抵抗なくなじんでいる自分に気づくことも多いです。

 ただ、この変化によって失われたものは何か?

 切り取られたものは何か?

 消えてしまったものは何か?

 コロナの影響が長期化するにつれて、その影響はじわじわ広がり、

 個人も社会もいつの間にかもう以前のようには戻れないところまで来ているように感じられます。