未だガラケーで、SNSは一切していない、デジタル環境から完全に乗り遅れている生活をしていますが、唯一少しだけデジタル的な事と言えば、Skypeでのビデオチャットを友人と始めたことです。
山口に母親の介護でずっと帰省している30年来の友人(彼女とは20代のころ10年以上もの同居人でした)と、3週間に一度4時間以上、思いっきり駄弁っています。
ズームやSkypeなどで対話するのは違和感を覚えていたのですが、遠距離とこのコロナ禍で山口に帰省しても会うことが難しいので始めたのですが、これが中々便利で楽しいですね。
いつもあっていた時のように、近況や、しょうもない話題など、とりとめもないことを延々と話して、コロナ禍で不可能になっていた(感染の恐れなく)、忘れていた感覚を味わえています。
コロナ感染が流行し始めた時、急速に制限される生活の様々な不便さや不安に対して、
「ストレス対処の方法として事態に対する捉え方を変えることにより、ストレスは軽減される」
ということから、無理にでも「コロナ感染流行によって、恩恵を受けるものを見出し、日々カウントしていこう。」
と決めて当初はそれを実行し、
「これも、コロナ恩恵。あれもコロナ恩恵。」
とカウントして、気持ちを切り替えていましたが、非常事態が日常になって慣れてきて、ストレスもそれほど感じなくなり、すっかりそのことを忘れていました。
しかし、昨日、Skypeで長時間駄弁って、心底楽しかったなあと感じた時に、久々に
「これってコロナの恩恵かな。コロナがなければ、デジタル音痴な私はSkypeをしようとは思わなかっただろう。」
と気づきました。
コロナ感染流行が生活に影響しだしてはや半年(一年の半分)が過ぎ、非日常がすでに日常化しつつありますが、
これからも続くコロナの影響を乗り切るために、コロナ恩恵を見つけ出すことを再開しようと思ったのでした。
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